エクソシスト・ビギニング EXORCIST: THE BEGINNING |
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| 寸評 | 神の対極としての悪魔も、神なしでは存在できないはずだが、この映画では悪魔の対極として神が描かれている。つまり、悪魔こそが神の存在理由という逆転現象が起きている。結局、善悪二元論はキリスト教徒にしか通用しない。 |
| ポイント | ★★* |
| DATE | 04/10/16 |
| THEATER | 池袋東急 |
| 監督 | レニー・ハーリン |
| ナンバー | 122 |
| 出演 | ステラン・スカルス/ジャームズ・ダーシー/イザベラ・スコルプコ/ |
| 批評 | ネタばれ注意! 結末に触れています 神は存在するのかしないのか。神の対極としての悪魔も、神が存在しなければ存在できない。しかし、この映画を見ていると悪魔の対極として神が描かれている。つまり、悪魔こそが神のの存在理由という逆転現象が起きているのだ。第二次大戦中のナチスの暴虐の前に信仰を捨てた元神父が再び神の力に頼るのは悪魔と対峙したとき。悪魔が乗り移った人間もキリスト教世界に属する。結局、善悪二元論的な神と悪魔の対決という構図はキリスト教徒にしか通用しないということだ。 大戦直後のケニア奥地で1500年前のキリスト教会の遺跡が発見される。発掘に向かった元神父のメリンはその教会跡が悪魔崇拝者のものだと知り、現地人の村で医療行為にあたる白人女医・サラにそのことを告げる。そんなある日、現地人使用人の息子が悪魔憑きにあい、その後も不可解な事件が頻発する。 神や悪魔などというものはやはり人間が作ったものなのだ。悪魔が乗り移ったように見えるのも、日本では狐憑きだし、ケニアの原住民の間にも昔からそのような症例はあったはず。だからこそ土着の厄払いの儀式があるわけで、それはキリスト教の教義とはまったく関係ない。この映画の作者がそのことに気づき、キリスト教的観念から解放されていれば物語りはもっと普遍性を持ち、他宗教の信者や無神論者も怖がらせることができたはずだ。キリスト教徒信者でなければ、悪魔に乗り移られた人間は単に狂ったとしか見えない。 悪魔が乗り移ったのは現地人の息子ではなく白人女医であるサラというオチは、キリスト教の唱える悪魔はキリスト教徒にしか乗り移らないことを証明している。非キリスト教徒なら、悪魔に憑かれても十字架や聖水を恐れないだろう。サラに取り憑いた悪魔は最後には信仰を取り戻したメリン神父によって追い払われる。B級ホラー的な安っぽい手法で散々退屈させられるぬる〜い作品たが、神の威光を称えれば称えるほど無神論者には神の不在が強調されるという、逆説的な意味ではおもしろかった。 [http://www.otello.com.ua/:title=他の新作を見る] |