こんな映画は見ちゃいけない!

サロメ SALOME

サロメ
寸評 ダンサーたちのピンと伸ばした指先まで張り詰めた感情には鬼気迫るものがあるし、鍛え上げられた肉体から発するエネルギーには圧倒される。しかし、舞踏劇を作った人間たちのドラマを語らないので、映画的な奥行きには欠ける。
ポイント ★★*
DATE 03/11/11
THEATER BUNKAMURAル・シネマ
監督 カルロス・サウラ
ナンバー 141
出演 アイーダ・ゴメス/ペレ・アルキュエ/パコ・モラ/カルメン・ビリュナ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

オスカー・ワイルドの戯曲の世界をダンスと音楽だけで表現しよう試みは成功している。アイーダ・ゴメスのピンと伸ばした指先まで張り詰めた感情には鬼気迫るものがあるし、その他のダンサーたちの鍛え上げられた肉体から発するエネルギーには圧倒される。それも、舞台と客席という距離をなくし、カメラのすぐ前でダンスが繰り広げられるため、ダンサーたちのナマの息遣いのようなものまで伝わってくる。

しかし、その感激に浸れるのは舞踏劇が始まって2〜30分までだ。始まりはこの舞踏「サロメ」のメイキングのような体裁を取っていて、演出家のコンセプトの元に音楽家や舞台装置、衣装担当者が舞台裏を作っていく。一方でダンサーたちが自分の生い立ちを語り「サロメ」で演じる役柄について語る。舞踏を完成させるまでには多くの人々の熱意と苦労あることがよく伝わってくる。そして、ゲネプロが始まるのだが、そこからは一切の説明が省かれ、本番さながらに舞踏が進行していく。

問題はゲネプロが始まってからだ。それまで語られていたキャスト、スタッフの苦労話は一切排除して、「サロメ」という舞踏だけを見せる。舞踏が終わると映画も終わる。ある意味、ものすごく思い切った編集で斬新ではある。舞踏のシーンではカメラは引いた位置にいるのではなく、あるときはダンサーのアップ、あるときはステージの後ろからと、変幻自在に移動する。その間も音楽やダンスは切れ目なく連続している。これは、舞台なのか映画なのか。フィクションなのかドキュメンタリーなのか。虚実皮膜の間をさまようような気分になる。

この作品を楽しめなかったのは、スタッフやダンサーたちが自分のことを中途半端にしか語らなかったからだ。確かに舞踏劇は素晴らしい。それでもその舞踏を作り上げた人間たちの熱いドラマをしっかり語らなければ、映画的な奥行きに欠けるのだ。