ファインディング・ニモ FINDING NEMO |
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| 寸評 | 「息子を探して冒険の旅に出た父」と知っただけで、本来魚の捕食者であるクジラは飲み込んだ父親魚と同伴者を吐き出すし、ペリカンも食べようとして捕獲した彼らに対し一転協力者になる。なんなんだ、このご都合主義は。 |
| ポイント | ★★ |
| DATE | 03/10/29 |
| THEATER | ブエナビスタ試写室 |
| 監督 | アンドリュー・スタントン |
| ナンバー | 135 |
| 出演 | |
| 批評 | ネタばれ注意! 結末に触れています 魚を主人公にしているので、他の海生生物や鳥などのキャラクターに善悪の区別があまりない。魚の捕獲者としての人間はもちろん魚たちにとって恐怖の対象として描かれているが、他の捕獲者、たとえばクジラやペリカンなどのスタンスがあいまいだ。マーリンを「息子を探して冒険の旅に出た父」と知っただけでクジラは飲み込んだマーリンとドリーを吐き出すし、ペリカンも食べようとして捕獲した彼らに対し一転協力者になる。一方で、カモメは知性のまったくないただえさをあさるだけの存在として描かれ、当然それは魚たちの脅威となっている。なんなんだ、このご都合主義は。 マーリンは妻と孵化寸前の卵を他の魚に食べられ、ただひとつ残った卵から生まれた息子・ニモを大切に育てる。しかし、学校へ行くようになったニモはマーリンがちょっと目を離した隙に人間にさらわれる。マーリンはニモを取り返すたびに出る。 ここで描かれるのはマーリンの息子探しの旅の途中での成長だ。臆病だったのが息子のためと知恵と勇気を絞り、協力者を増やしていく。しかし、ドリーという記憶障害の魚をマーリンのパートナーにしたのは、いかにも「メメント」からアイデアを取り入れたという感じがする。また、歯科医の水槽に囚われの身になったニモはそこでの仲間とともに脱出の機会をうかがっている。 旅の途中で子供のためにはどんな困難もいとわない父親としての勇気と行動力を示すマーリンと、勇気とは自分の無謀さを見せるために使うのではなく他人のために使って初めて価値のあるものになるということを学ぶニモという、二つの物語が並行して語られる。父さんも頑張っているから息子も頑張るんだぞ、といっているようだ。そのあたり、最初から観客を親子連れで映画館に足を運ばせようという、作り手側の魂胆が見え透いている。そういう意識で作るとやはり中途半端なできにしかならないことをこの作品は証明している。子供向きに作っているアニメでも大人の鑑賞にも耐えられる、そういう作品を作って欲しかった。 |