こんな映画は見ちゃいけない!

アイデンティティー IDENTITY

アイデンティティー
寸評 多重人格者の妄想を映像にしているが、これだと最初から観客をどんなにミスリードしても、「多重人格者の妄想だよ」というエクスキューズであらゆる矛盾をチャラにできる。見終わった後でしてやられたという妙な爽快感があった。
ポイント ★★★*
DATE 03/10/28
THEATER 池袋HUMAXシネマズ
監督 ジェームス・マンゴールド
ナンバー 134
出演 ジョン・キューザック/レイ・リオッタ/アマンダ・ビート/レベッカ・デモーネイ
批評 ネタばれ注意! 結末に触れています

豪雨の夜、通信が途絶えたモーテルに集まった10人の客。モーテルの支配人を含め11人が孤立した建物の中でひとりずつ残虐な手口で殺されていく。犯人は、そしてその目的は。死刑執行直前の死刑囚を尋問しながら、映画は犯人の真の人格に迫っていく。

新鮮なのは多重人格者の妄想をそのまま映像にしているとろだ。この描き方だと最初から観客をどんなにミスリードしても、最後に「あれは多重人格者の妄想だよ」というエクスキューズであらゆる矛盾をチャラにできる。しかし、見ている間はそんなことを忘れ、その妄想の中に引き込まれてしまって連続殺人事件の犯人探しをしてしまう。第一、登場人物の何人かが多重人格者とは誰も気付かないだろう。実際にモーテルに集まったのはカップル、老夫婦、脱獄囚と警官、モーテルの支配人、そして犯人の8人だけだ。犯人が自分のほかに女優と売春婦と子供を演じているので計11人になる。よく考えれば、それもまた妄想なのだ。

だが、彼らの誕生日が5月11日で、地名にちなんだ名前を持っていることとはどう関係してくるのだろう。また、犯人の日記を元にしているのなら、バスルームに逃げ込んだ女が恐怖におののくシーンや、手錠をはずした囚人が逃亡したり、モーテルの支配人が女優の財布を盗むという、犯人の視点以外の映像を挿入するのは矛盾している。ここは、犯人か犯人の演じた人格、つまり女優、売春婦、子供の視点で描かれなければならない。彼らが見ていない場面は映像にしてはいけないのだ。

要するにミステリー仕立ての映像に穴だらけの脚本であることが見え隠れしているのだが、案外こうした矛盾を観客がどれだけ見つけられるかを試しているのかも・・・。その矛盾もすべてこの死刑囚が多重人格の証拠といわれれば説明がつく。なんかとてもずるい発想だが、見終わった後でまんまとしてやられたという妙な爽快感があった。