たまゆらの女 周魚的火車 |
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| 寸評 | 時間軸に沿ってストーリーを語ればヒロインが恋人を愛する気持ちがよく理解できたはずなのに、現在、過去、大過去を混在させるような編集をしたため、とりとめがなくて時間の経過が分からず無用な混乱に陥ってしまう。 |
| ポイント | ★★ |
| DATE | 03/10/2 |
| THEATER | シネスイッチ銀座 |
| 監督 | スン・チョウ |
| ナンバー | 121 |
| 出演 | コン・リー/レオン・カーファイ/スン・ホンレイ |
| 批評 | ネタばれ注意! 結末に触れています 時間軸に沿ってストーリーを語ればヒロインが恋人を愛する気持ちがよく理解できたはずなのに、あえて現在、過去、大過去を混在させるような編集をしたため、無用な混乱に陥ってしまう。こういう時制を破壊するような編集法は、見終わった後「ああ、あのシーンはあそこにつながっていて、ああいう意味が会ったのね」と思わせなければならないのに、あまりにもとりとめがなさ過ぎて時間の経過が分からない。また、カメラワークも手持ちカメラやスローモーションなどを多用し、これもヒロインの心情を表現しているのだろうが、いまいちテクニックだけが空回りしている。 物語は、シュウという女性が語り部となって、チェンチンという詩人が書いた「周魚的火車」という本のヒロイン・チョウユウの愛を再現するというもの。チョウユウはチェンチンの元に毎週2回、片道10時間汽車に揺られて通い、つかの間の逢瀬をむさぼりあう。やがて2人の間に心の隙間ができ始めたころ、チョウユウは汽車で知り合った獣医に好意をもたれるようになる。 10時間もかけて男の元に通うヒロインの情念、2人の男の愛に揺れ動く女心、というのがこの作品の見所だ。ところが、コン・リーがあまりにも押さえた演技をしているので気持ちが伝わって来ないのだ。詩人はチベットに行ってしまったのに、誰もいない詩人の家に通い続けることが重要と、恋人の心離れを信じない女心など、もう少し感情を込めてもいいはずだ。 抑制した演出や控えめな演技は時として映画に大きな奥行き生む。しかし、この作品に関しては「描きたいことが伝わって来ない」としか感じられない。時間軸がばらばらの個々のシーンを再構築してみても、要するに、たいしたことないからわざと観客を混乱させるような編集にしたのだ、とヘンな勘繰りを入れたくなる。それに、この邦題。「たまゆら」とは「しばらく」とか「かすか」という意味なのに、「磨かれた玉の表面のようにゆらめいている」と、タイトルをつけた人は思っているのではないだろうか・・・。 |