バトル・ロワイアルII 鎮魂歌<レクイエム> |
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| 寸評 | 迫力のある戦闘シーンは作り手の意気込みが伝わってくるが、なぜ中学生同士が武器を手にして殺しあわなければならないかという根本の命題「BRU」にまったく説得力がないために、空疎な殺し合いにしか見えない。 |
| ポイント | ★★ |
| DATE | 03/7/9 |
| THEATER | 渋谷東映 |
| 監督 | 深作欣二,深作健太 |
| ナンバー | 87 |
| 出演 | 藤原竜也/前田愛/忍成修吾/酒井彩名/ビートたけし/前田亜季/竹内力 |
| 批評 | ネタばれ注意! 結末に触れています 日本映画でもここまで迫力のある戦闘シーンを撮れるということを証明しようとした意気込みは理解できる。しかし、なぜ中学生同士が戦争さながらの武器を手にして殺しあわなければならないかという根本の命題「BRU」にまったく説得力がないために、空疎な殺し合いにしか見えない。一方で、戦闘が始まる前に生徒一人一人の名前を呼んで武器を渡すシーンを挿入することで、「プライベート・ライアン」をまねた上陸シーンで次々と生徒が死んでいく部分は、「名もない兵士」の死ではなく「名のある生徒」の死という重みを帯びてくる。このあたり、命を軽く見ているのか重く見ているのか混乱している。 映画は「バトルロワイヤル」の生き残りの七原がゲリラ部隊を組織し、体制側にテロ攻撃を仕掛ける。体制側は新たな「バトルロワイヤル」として中学の1学級に武器を渡して七原のゲリラ部隊殲滅を命じるというもの。二人一組にしたり、敵を七原にしたため、前作のように友人を出し抜いたり殺しの本性に目覚めたりするやつがおらず、キャラクター設定としては退屈だ。スクリーンでは命の浪費が繰り返される。 この作品が不快なのはゲリラ対体制側という構図を、現実社会のテロリスト対アメリカという構図になぞらえていることだ。映画中では、体制側=アメリカ=悪、そして抵抗勢力を善と描いている点だ。確かにアメリカの一国支配に同意できるものではない。しかし、アルカイダを模した七原のテロ行為を正当化するような描き方には共感できない。一方で体制側の教師が七原のテロで妻子を亡くしていたりする。 世界は善悪二元論で語れるほど単純なものではない。立場の違う人間が複雑に絡み合って世の中を形成している。だからといって、それを何の整理もせずに観客の前に放り出すのは作り手側に何の思想もないと言うことではないだろうか。 |